愛媛を歩こう!国民平和大行進

核兵器のない世界をめざして、一歩でも二歩でもご一緒に歩きましょう!

12/9・12・14豪雨災害被災地へちひろカレンダーを届ける

 豪雨災害被災地へちひろカレンダーを届ける
12月9日(日)、12(水)、14日(金)

 夏の豪雨災害で被災された方々に「2019いわさきちひろカレンダー」を届けに行きました。

 全国から日本原水協に寄せられたカンパが愛媛の平和行進実行委員会にも配分されたので、「いわさきちひろカレンダー」を108本購入し、大洲、宇和、野村、吉田の仮設住宅を中心に12/9・12・14に訪問してお話を聞き、来年は良い年になるようにと励ましました。

12/9、吉田の仮設住宅では15軒のうち7軒が在宅で「家は土砂が入って避難したが今はボランティアの宿泊所になっている。県外の息子が『おいで』と言ってくれるが、住みなれた吉田にいたい。」「カレンダーはなかったのでうれしい。かわいい」と喜ばれました。

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大洲では肱川15軒中8人と対話、徳森では12人と対話しました。大洲出身で実家が被災したお笑いタレントのバンビーノさんがちょうど来られていて一緒に回りました。

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12/12は、今年の平和行進訪問日が豪雨災害当日にあたったため、訪れることができなかった愛南町宇和島市を訪問し、愛南町長、宇和島市市長公室の方と懇談し、カレンダーを差し上げたところ、大変喜ばれました。

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また、野村の乙亥会館隣の「百姓百品」店舗を訪問し、代表の和氣數男さんから被災当時の状況やその後に結成した「野村の未来を守る会」、12/10に開いた「野村ダム放流の説明をきく会」などについて詳しくお話を聞きました。

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ダムの緊急放流では通常の3倍の量の水が一気に流され、肱川があふれ、町内で5人が亡くなり850戸が床上浸水しました。放流のあり方、警戒と避難指示、河道掘削や堤防整備など、今後も問い続け声を上げて「安心して暮らせる野村町」にしたいと話されました。店舗や工場、仮設住まいのお子さん宅などへカレンダー3本を差し上げ、大変喜ばれました。

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 14日は4人で、はじめに西予市社会福祉協議会本所を訪ね、職員さんらも同行してくださり、野村運動公園の仮設住宅集会所で開かれているホットカフェへ。曹洞宗の僧侶青年会とボランティア団体シャンティさん、地元のボランティアが協力して運営しているそうで、この日はボランティア含めて25人の方が集まり羽子板飾りを制作していました。有名な野村の乙亥相撲の世話役さんも仮設住宅暮らしでちょうどお目にかかることができ相撲のお話をなども聞かせていただきました。


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 ここの仮設住宅は大きくて、72軒が入居しているそうです。カフェでお目に掛かれなかった方の住まいを個別に訪問してあわせて25人の方とお話ができました。 地域のきずなの強さを感じ、たくさん元気をもらいました。


 午後からは野村児童館・幼稚園・そして水害から避難して来て地域の教育複合施設の2階に間借りしている保育所を訪問しました。保育所は運動公園に仮設の保育園が設置され、今月25日が開所式です。

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 宇和(旧明間小学校)の仮設住宅でもホットカフェを開設していました。こちらでは年配の方が塗り絵をしたり、足湯をしたり、ちょっとデイケアセンターのような雰囲気でした。25件の住宅を訪問したけれどお目に掛かれたのは5人でした。


 同行頂いた方のお話では、危険区域なので避難して来てはいるけれど、家屋が全壊してしまったわけではない方は(ただ、水回りが復旧していないので、お風呂や洗濯の為)自宅と行き来しているそうです。

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 災害から半年、まだまだそこここに爪痕が残っています。でも、みなさん前向きに明るく過ごしていらっしゃるように見えました。そして、今回の訪問で一番感じたのは地域のきずなの強さです。

上島町・愛南町の議会が「核兵器禁止条約の署名・批准を求める意見書」採択

核兵器禁止条約の署名・批准を求める
「意見書」上島町愛南町採択

 9月12日上島町、9月13日愛南町の議会で「核兵器禁止条約の署名・批准を求める意見書」の提出が決まりました。

 これで愛媛県内では、砥部町とあわせて3自治体で意見書が提出されることになりました。

 上島町の理由では、「わが国は『唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界の実現』のために役割を果たす必要があるので、日本政府および国に対して、『核兵器禁止条約』に署名・批准することを強く要請することを求めるため、関係先に意見書を提出します。」としています。



核兵器禁止条約の署名・批准を求める意見書

 昨年7月7日の国連会議において、人類史上初めて核兵器の使用や威嚇などを違法化した核兵器禁止条約が122カ国の賛成により採択された。核兵器禁止条約は、核抑止の概念も否定し、核兵器廃絶に向け、核兵器を一律に禁止する非常に厳格な内容となっている。
 しかし、日本政府は唯一の戦争被爆国として、核保有国と非保有国の橋渡し役をするとする一方で、核兵器禁止条約については、現実的な核軍縮につながらないとし、一貫して反対の立場をとり続け、とりわけ北朝鮮の核・ミサイル開発の脅威を前に、アメリカの抑止力に依存せざるをえないという立場を強調している。唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶を強く訴えてきた日本政府が、なぜ、核兵器禁止条約を批准しないのか、被爆者をはじめとした多くの国民から不満の声が上がるのも当然である。
 こうした中、日本の被爆者とも連携し、核兵器禁止条約の採択に貢献した国際NGO、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が昨年、ノーベル平和賞を受賞した。このことは、核兵器廃絶に向けた国際的な合意を強く後押しするものである。
 日本政府は、自ら明言したとおり、核兵器保有国と非保有国の橋渡し役として、核兵器廃絶に向けた国際社会の歩みを前に進めていくべきであり、北朝鮮核兵器開発の放棄を迫るうえでも、核兵器禁止条約に一日も早く署名し、批准すべきである。 
 よって、日本政府及び国においては、次の措置を講ずるよう強く求める。

1 唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約を一日も早く署名・批准すること。
2 それまでの間は、オブザーバーとして、締約国会議及び検討会議に参加すること。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
 平成30年 9月13日 愛南町議会議員

8/9海外へのお手紙

千羽鶴とともに海外へ
千羽鶴を海外へ送るつどいでの「お手紙」


To ourfriends who love peace 
 
 73th summer coming, we have passedsince the atomic bombs dropped in Hiroshima and Nagasaki in August 1945.
 More over in the world, there are 14,000 shotsunclear bombs, they threaten the human beings to live. The atomic bombsdestroyed the two cities in a moment, deprived the lives of 210,000 peoplewithin the year. That was the worst tragedy through the human history, stillnow 160,000 people have been suffering. By nuclear tests and accident ofnuclear plants also extends seriously radioactivity from every corner of theworld.
The people who desire no the nuclearweapons are over average 80 hope the rising generations will have never a hellof life during thire life. Must not become A-bomb victims of you, your familyand all the people. From last year, we A-bomb victims started to ask signaturecampaign all over the world that wanted to conclude a treaty of no the nuclearweapons. We make a stream of no the nuclear weapons with these signatures and“We human being never coexist with the nuclear weapons.” “No more A-bombvictims.”
In July-7th, we adopted no thenuclear weapons treaty was elected by an over 122 countries whelming majorityat treaty of no the nuclear weapons meeting of UN. The treaty says the preambleto the treaty cleared in humane, this is the only way to defend by the nuclearweapons devastations. And the things make an epoch in the first articleprohibited all the nuclear weapons “development, experiment, production,manufacture, acquisition, possession, preservation” “use and intimidation ofuse” “transfer” “establishment, dispositions” in control area.
We, The Great Peace March of Ehime JapanCouncil against Atomic & Hydrogen Bombs, have done the peace march for 58years hoping the world peace and abolition of nuclear weapons as a bombednation with the constitution of renunciation of war. This year, too, we visitedall the cities in Ehime and over 500 citizens including the A-bombed victimstook part in the peace march. At the same time the action of sending thesepaper cranes as peace messengers to foreign countries is organized and 150,000paper cranes are gathered.
One thousand cranes represent long life. Itis said the cranes live a thousand years and the turtles ten thousand years.There is a child statue of A-bomb victim in Hiroshima Peace Park.Sadako Sasaki was 2 years and 8 months old when the A-bomb was dropped. Shecontinued folding a thousand paper cranes. She died of acute leukemia at theage of 12. Cranes are full of our resolution not to bring about A-bomb victimagain.
We will send them to your group. We havesent 4,288,000 cranes to 84 groups in 31 countries. We wish you to make use ofthem for your peace activities of anti-nuclear, anti-war anti-nuclear plantfrom the glass roots movement. We look forward to hearing your activity.
No more Hiroshima!No more Nagasaki! No more Hibakusya!
 
2018 The committeeof The Great Peace March of Ehime Council
Against Atomic& Hydrogen Bombs,
The Chair
 
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 平和を愛する仲間のみなさんへ                  

 
 1945年8月、広島・長崎に原爆が投下されてから73年目の夏を迎えました。
今なお世界には、1万4千発以上の核兵器が存在し、人類の生存を脅かしています。原爆は、一瞬のうちに2つの都市を破壊し、21万人の尊い命を奪いました。人類史上例のない非人道的な被害をもたらし、現在も16万人の被爆者が苦しみ続けています。また、核実験や原発事故によって世界各地に深刻な放射能被害が広がっています。
平均年令80才をこえた被爆者は、後世の人々が生き地獄を体験しないように、生きている間になんとしても核兵器のない世界を実現したいと切望しています。あなたとあなたの家族、全ての人々を絶対に被爆者にしてはなりません。2016年より被爆者はすみやかな核兵器廃絶を願い、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことを、すべての国に求める国際署名がスタートしました。この署名含めて、「人類と核兵器は絶対に共存できない」「ふたたび被爆者をつくるな」という市民社会の運動が、核兵器廃絶を求める流れを作り出しています。
2017年7月7日には、核兵器禁止条約を交渉する国連会議で、核兵器禁止条約を122カ国の圧倒的多数で採択しました。条約は、その前文で核兵器の非人道性を告発し、核兵器による惨害を防ぐ唯一の確実な道として、核兵器の廃絶の必要性を明確にしました。その上で、第一条において核兵器の「開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵」、「使用と使用の威嚇」、「譲渡」、支配地域での「設置や配備」を含むすべての行為を禁止した画期的なものです。

私たち原水爆禁止国民平和大行進愛媛県実行委員会は、被爆国であり、戦争放棄憲法をもつ日本国民として、世界の平和と核兵器廃絶を願い、58年間平和行進を続けています。今年も全自治体を訪問し、被爆者をはじめ500人をこえる県民が行進しました。同時に「『平和の使者』千羽鶴を海外へ送る運動」にとりくみ、今年も15万羽の折り鶴がよせられています。

千羽鶴は、日本では「鶴は千年、亀は万年」と言われ、長命の象徴です。広島平和公園には「原爆の子の像」があります。2歳8ヶ月で被爆した佐々木貞子さんは、急性白血病になり、「生きたい」という願いを込めて鶴を折り続けましたが、12歳で亡くなりました。折り鶴には、「再び被爆者をつくらない」という決意が込められています。

この千羽鶴を今年は貴団体へお送りします。これまで、世界31カ国 84団体へ、428万 8千羽を送っています。みなさんの草の根からの反核平和運動に、この折り鶴を役立てていただくことを心から希望します。みなさんの平和運動の様子などお知らせいただければ幸いです。
  ノ一モア・ヒロシマ!ノ一モア・ナガサキ!ノ一モア・ヒバクシャ!
         2018年原水爆禁止国民平和大行進愛媛県実行委員会
                      実行委員長

8/9千羽鶴を海外へ送るつどい

世界31カ国86団体へ累計448万8千羽を海外へ
8月9日(木)
千羽鶴を海外へ送るつどい
 

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 8月9日、『平和の使者千羽鶴を海外へ送るつどい』が松山市で開催され20人が参加しました。

 
 県原爆被害者の会の久保さん(故人)がよびかけてはじまり、平和行進県実行委員会が主催する、今年で28年目になる運動です。
 
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 自治労連やコープえひめなどから寄せられた約20万羽の折鶴に手紙を入れて箱詰めし、3ヵ国の3団体=フィリピン「平和女性パートナーズ」、イギリス「ヨークシャー核軍縮運動」、アメリカ「首都圏ヒロシマナガサキ平和委員会」に送りました。これまでに世界31ヵ国86団体へ累計4488千羽になりました。

 
 つどいでは、広島で被爆された藤村敏夫さん(87)の体験談を聞きました。
 
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 「広島駅の第一機関区で働いていたところ突然の閃光と爆風と熱風。吹き飛ばされて倒れ、外を見たら家が一軒残らず倒壊しあちこちから『助けてくれ』『足がはさまれた』と悲鳴が上がっていた」ことなど、73年前に目にした光景を話され、「戦争だけはいかん」と強く話されました。
 
 その後、コープえひめから『ピースアクションリレー』『ピースセミナー』の実施、新婦人から『被爆体験記を声に出して読み合わせる会』の開催など平和活動報告がありました。長崎原爆投下時刻112分には、梱包発送作業の手を止め「黙祷」しました。

7/6~愛媛コース日程の中止について

7月6日(金)からの日程中止
西日本豪雨による警報・被害・災害発生にともない

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西予市野村町 7/10)

 7月6日(金)愛南町宇和島市での要請、7月7日(土)「ピースウェーブ2018」核兵器禁止条約1周年ヒバクシャ国際署名行動、7月8日(日)愛南町行進・愛媛と高知県境での引き継ぎ終結集会について、二次被害を発生させない、参加者の安全確保等の観点から実行委員会は日程を中止する判断を行いました。

 5日から降り続く雨によって、6日から記録的な大雨となり、7日、8日と愛媛県では南予地方、西予市野村町、大洲市宇和島市吉田町などで肱川などの氾濫で家屋をはじめインフラなど地域に大きな被害が出ており、死者も発生する状況となっています。
 愛媛県以外でも広島県岡山県高知県などで甚大な被害が発生しており、12府県126人の死者、行方不明者が出ている状況となっています。

 自治体も災害復旧対応に尽力し、各地から職員やボランティアが支援に入っていると伺っています。

 被災されたみなさんにお見舞い申し上げるとともに、同じ愛媛県の者として災害からの復旧復興に協力していきたいと思います。

7/5松野町と鬼北町で要請

署名にも全職員で協力する」
7月5日(木)
松野町、鬼北町で要請

 7月5日、松野町と鬼北町で要請しました。

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 松野町では、総務課長・議長さんに対応いただきました。

 参加者が要請書に基づいて、平和行政について要請。原爆被害者の会作成のDVDの活用、被爆者への対応などを要請しました。

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 通し行進者の五十嵐さんから「60年間を歩くことで訴えてきた。核兵器禁止条約が国連で採択されることでやっと光が見えてきた。核兵器がなくなるまでこの運動は続いていく。行政も未来を守るために今後も積極的な協力をお願いしたい」と訴えました。

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 町からは「庁舎が建て替え中なので今後パネルを購入し掲示を考えている」「兵器がない国が一番。エネルギー政策が転換されて、原発がなくなることが望ましいと思う」「日本が被爆国であることを忘れず、教育資料をもって今後も教育していきたい」「署名にも全職員で協力する」「議会でも勉強会を設けていきたい」とのコメントがありました。


 鬼北町では、兵頭町長が出席、議長さんなどに対応いただきました。

 こちらからの要請書に基づいての訴え、五十嵐さんのあいさつの後、兵頭町長からコメントがありました。
 「伊方の原発がある、北朝鮮のミサイルが四国上を通ることに恐怖を感じる。市町の首長9名で福島を訪ねた。平和を守ることは国だけの仕事ではないと感じた。市町村単位で行っていく必要性を感じる」

 また、行進については「2つの団体が一緒に活動していくことはできないのか。目標は同じであり、ともに活動できれば良いのに」「エネルギーは火力、その他のバイオマスについて検討中。今以上に原発が増えることはない」「地域を守るために山林保護に税金を使って、行わなければならない。自然のものでのエネルギーの循環を考えている」「パネルの購入も考える」などのコメントがありました。

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 参加者から、DVD「未来への伝言~愛媛の被爆者は語る」を利用していただきたいと要望しました。

 鬼北町庁舎横にある被爆石を使った平和の石とともに記念撮影を行いました。

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7/4西予市と八幡浜市で要請・行進

「平和を求める思いは同じ」
7月4日(水)
西予市八幡浜市で要請・行進

 7月4日、西予市(せいよし)と八幡浜市で要請・行進しました。


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 西予市では、総務課長、議長さんなどに対応いただきました。
 要請主旨の説明の後、通し行進者の五十嵐さんから訴えがありました。

 市からは「核のない社会という思いは同じ。核兵器禁止条約への批准については国の方針が示されれば自治体として判断したい。米軍機の低空飛行は城川町で確認されたこともある。注視してほしいという思いはある。伊方原発については、県の指導もあり、全体の調整もある。将来的には廃炉にとは思う、市長も『究極的には反対だが、徐々に』というような考えだ」などのコメントがありました。

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 また、パネル展示については、4年ほど前に購入し、戦没者大会で展示している。今年も展示すると話があり、参加者からはロビーなどで、戦没者大会前の期間も展示してもらいたいと要望しました。

 議長からは「平和を求める思いの根本は同じ、平和を希求している。人間の性や得手勝手などがこの運動も大きな声でしっかり訴えてもらって、小さな争いからなくしていくように。伝える方法は、言語に限らず音楽や美など人間の表現の仕方がある。パネルも見ただけで伝わる」「要請の主旨には賛同するが、いろんなものがからんでいるので署名に至らないのだろう。核兵器廃絶の心はみんなもっている」などのコメントがありました。

 参加者からは、ヒバクシャ国際署名のとりくみ、伊方原発などについて要請しました。

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 要請後の昼休みに、市役所周辺、商店街などを歩いてアピールしました。出発前に集会を行い、実行委員会と五十嵐さんがあいさつ。記念撮影を行いました。

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 八幡浜市では、総務部長、議長さんなどに対応いただきました。

 こちらでも要請主旨説明の後、五十嵐さんに「核兵器禁止条約に日本も署名・批准を」など訴えました。

 市からは「核兵器はいらないに反対はないが、核兵器禁止条約に批准が10カ国ということからも、情勢と個々の判断とで日本政府として難しい判断があるのではないか。安倍首相にもどの国の首相かという声もあったが、日本が条約についてどちらを判断するかという状況。核兵器があっていいというわけではないが」などのコメントがありました。
 
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 市では「パネルは購入しており、8/1~10までパネル展を行う。パネル展の開催を学校などにも通知する」「署名は遠慮している」などの発言もありました。

 参加者からは「パネルの貸し出しなども積極的に、『ゆめみかん』などでのパネル展の検討を」「市在住被爆者への対応を」などを要望しました。

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 要請後に庁舎から市内を商店街を通り、市民会館まで行進しました。鳴子、ギターも登場し、にぎやかに行進しました。