5/9西予市、八幡浜市で要請・行進
西予市では総務部長・課長さんに対応いただきました。
実行委員会から、来年被爆から75年、NPT再検討会議も開かれることなどにもふれ、要請。
西予市からは、学校の平和教育を行っており、小学校の修学旅行で広島・長崎を訪れ、小学生が発表を広島にしに行ったりしている。自分たちの暮らしを守るためにも平和行政のとりくみしている。最近広島の平和公園を訪れたが、外国人観光客が多く、涙を流して見ている人も多く印象的だったなどのやりとりがありました。
また昨年の豪雨災害からの復興計画のこと、伊方原発が近くにあり防災訓練も施行していることや、原発問題は難しいが原発の状況の説明をし皆が認識しつつある、3.11で関東から西予に戻ってきたが伊方原発がある。災害や何かあった時にどうしていいのかわからない人が多いなど参加者とのやりとりがありました。
要請後、昼休みに行進を行い、西予市役所周辺を一周しました。
八幡浜市では、総務部長・課長さんに対応いただきました。
平和行進が愛媛は今年60回目の行進で、来年は戦後75年であることなどにもふれながら要請。
八幡浜市からは、原爆パネル展を毎年行っている。必要時にはパネル貸し出しもできることなど回答がありました。また全ての小学校で修学旅行は広島・長崎に行くようにしている。(伊方原発事故時の)住民避難計画については取り組み中で、14の施設に市の避難所確保済み。
子どもたちに知ってもらうという形が大切。戦争がいけないということを実感してもらう。脳が真っ白な時に、戦争という出来事があったことを知ってもらう必要がある、GWの10連休で10万人が原爆ドームに来館したという報道もありましたね、などのコメントがありました。
要請後に八幡浜市役所周辺を一周しました。人通り、車通りが多く気を付けて行進しました。
5/8松野町、鬼北町で要請・行進
5月8日、松野町で要請・行進、鬼北町で要請しました。
松野町では、坂本浩町長、赤松紀幸議長に対応いただきました。
要請主旨の説明の後、坂本町長から「少し前まで100才近い方が子どもたちに、中国やインパール、南方での戦争体験を話す活動をしてくれていたが、亡くなってしまい、伝えることが難しくなってきた」と話されたので、参加者から「原爆と人間」パネルの購入を勧めました。
懇談では、「昨年、豪雨災害の時の自衛隊の活動はありがたかった。人命救助などで信頼されている自衛隊が海外でアメリカと一緒に戦争するようになってはいけない」「安保法、集団的自衛権などで以前の自衛隊とは役割が様変わりしている」ことなどを話し、その中で個人的な意見として、「『シビリアンコントロール』とはいうが、今はシビリアンの方が危険ではないか。わかっていない人が指揮を執ることを求められるのではないか」などの意見も参加者から話されました。
国会でも話題となった「自治体の自衛隊への協力」について、松野町では庁舎の懸垂幕「平和を守り、未来を創る。陸・海・空 自衛官募集中」など2本が掲げられ、また日本カワウソと鯛とキジと思われるかわいい生き物が陸海空の制服をきているイラストつき。 募集案内を送るための住所と名前を紙ベースで自衛隊に渡しているとのことでした。
要請後に庁舎周辺を行進しました。
鬼北町では、総務財政課長、教育課長補佐、程内覺議長に対応いただきました。
鬼北町でも、町長・議長ともヒバクシャ署名にはすでに署名いただいています。
課長から「核がこれ以上世界に拡大していかないよう努力することが大事」とコメントがあり、平和行進パンフの中の愛媛民報の記事(低空飛行)が話題に。課長から「低空飛行は騒音や墜落の心配などがある。親戚の子が自衛隊員で、訓練中の音や光で耳や目を悪くしている」などの話がありました。
また、記事中にあった、1989年野村にFA18が墜落したのを当時取材したという参加者が「どこにでも起こりうる事故の危険やオレンジルートについて」など話し、よく落ちるといわれるオスプレイへの不安などで対話が続きました。
「子どもたちへ原爆被害のすさまじさを伝えたい、パネル購入の検討材料にしたい」と、学校教育課の方が「原爆と人間」のパネルを数枚並べて写真を撮る一幕もありました。
「自治体の自衛隊への協力」については、ロビーに「自衛官候補生願書受付中」ののぼり旗があり、鬼北町のゆるキャラ「きほくん」と「きじの助」のイラスト。これは常時立ててあり、2カ月に1回ぐらいは自衛隊が「お誘いコーナー」としてロビーを使い、名簿の提供もしているとのことでした。
鬼北町では行進ができませんでしたが、来年以降できるようなら、道の駅「森の三角ぼうし」周辺を歩くこともいいかもしれないとの意見も出ました。
5/7愛南町、宇和島市で要請・行進
愛南町では、総務課長補佐さんに対応いただきました。
参加者が要請書に基づいて、特に平和行政について要請。同席いただいた西口議員も平和宣言にふさわしい町としての行動を求めたいと質問していきたい旨の発言をされました。また、平和教材も視聴していただきたいと提案したところ、「調べます」と回答がありました。
宇和島市では、総務部長さん、議会事務局長さんに対応いただきました。
要請を行い、特に「原爆と人間」パネルの購入を強く薦めました。
また地元参加者が伊方原発の危険の問題を訴え、市として運転中止にむけて行動すべきではないかと話しました。
宇和島城をぐるりと1周し、かなり長い距離となりましたが、宣伝カーが並進してアピール力のある行進となりました。
5/6高知・愛媛県境で出発式~愛媛コーススタート
5月6日(月)、高知・愛媛県境で今年の平和行進四国コース(愛媛→香川、高知→徳島)が2コース同時にはじまりました。
今年は、東京の夢の島、北海道礼文島と同じく全国最初のスタートとなりました。
12/9・12・14豪雨災害被災地へちひろカレンダーを届ける
夏の豪雨災害で被災された方々に「2019いわさきちひろカレンダー」を届けに行きました。
全国から日本原水協に寄せられたカンパが愛媛の平和行進実行委員会にも配分されたので、「いわさきちひろカレンダー」を108本購入し、大洲、宇和、野村、吉田の仮設住宅を中心に12/9・12・14に訪問してお話を聞き、来年は良い年になるようにと励ましました。
12/9、吉田の仮設住宅では15軒のうち7軒が在宅で「家は土砂が入って避難したが今はボランティアの宿泊所になっている。県外の息子が『おいで』と言ってくれるが、住みなれた吉田にいたい。」「カレンダーはなかったのでうれしい。かわいい」と喜ばれました。
大洲では肱川で15軒中8人と対話、徳森では12人と対話しました。大洲出身で実家が被災したお笑いタレントのバンビーノさんがちょうど来られていて一緒に回りました。
12/12は、今年の平和行進訪問日が豪雨災害当日にあたったため、訪れることができなかった愛南町と宇和島市を訪問し、愛南町長、宇和島市市長公室の方と懇談し、カレンダーを差し上げたところ、大変喜ばれました。
また、野村の乙亥会館隣の「百姓百品」店舗を訪問し、代表の和氣數男さんから被災当時の状況やその後に結成した「野村の未来を守る会」、12/10に開いた「野村ダム放流の説明をきく会」などについて詳しくお話を聞きました。
ダムの緊急放流では通常の3倍の量の水が一気に流され、肱川があふれ、町内で5人が亡くなり850戸が床上浸水しました。放流のあり方、警戒と避難指示、河道掘削や堤防整備など、今後も問い続け声を上げて「安心して暮らせる野村町」にしたいと話されました。店舗や工場、仮設住まいのお子さん宅などへカレンダー3本を差し上げ、大変喜ばれました。
14日は4人で、はじめに西予市社会福祉協議会本所を訪ね、職員さんらも同行してくださり、野村運動公園の仮設住宅集会所で開かれているホットカフェへ。曹洞宗の僧侶青年会とボランティア団体シャンティさん、地元のボランティアが協力して運営しているそうで、この日はボランティア含めて25人の方が集まり羽子板飾りを制作していました。有名な野村の乙亥相撲の世話役さんも仮設住宅暮らしでちょうどお目にかかることができ相撲のお話をなども聞かせていただきました。
ここの仮設住宅は大きくて、72軒が入居しているそうです。カフェでお目に掛かれなかった方の住まいを個別に訪問してあわせて25人の方とお話ができました。 地域のきずなの強さを感じ、たくさん元気をもらいました。
宇和(旧明間小学校)の仮設住宅でもホットカフェを開設していました。こちらでは年配の方が塗り絵をしたり、足湯をしたり、ちょっとデイケアセンターのような雰囲気でした。25件の住宅を訪問したけれどお目に掛かれたのは5人でした。
同行頂いた方のお話では、危険区域なので避難して来てはいるけれど、家屋が全壊してしまったわけではない方は(ただ、水回りが復旧していないので、お風呂や洗濯の為)自宅と行き来しているそうです。
災害から半年、まだまだそこここに爪痕が残っています。でも、みなさん前向きに明るく過ごしていらっしゃるように見えました。そして、今回の訪問で一番感じたのは地域のきずなの強さです。